今年の10月23日は中越大震災(2004年)から20年となりますのでテレビ・ラジオ、新聞雑誌もその話題でいっぱいでしたが被災地の市町村合併からもほぼ20年となります。
正式に合併したのは2005年(平成17年)4月1日になるようです。
長岡市に合併した10市町村は人口数千人から2万人台の旧長岡市と比べれば比較的小さな規模でしたがそれぞれ大きな被害に対し復旧・復興に対処されたようです。その際、各インフラ、電気・ガス・上下水道、道路・鉄道、電話等通信ネット環境なども被害を受けました。それらは各市町村にまたがっており災害復旧にはそれらインフラの運営企業と市町村の連携がないと上手くゆかないと思われるところ、さらには合併予定の長岡市との復興への動きも無事にうまく繋がり快適な今日に至りました。それらすべてが上手に協働されたということでしょうか。これらは当事者間に蓄積された大事なノウハウになるのでしょうね。
当時私はインターネットで各市町村の復旧復興・防災情報等を個人的にチェックしていましたが各市町村ともおおむね被害状況やインフラの復旧状況等を発信されているのを確認しました。
停電や回線の都合でうまく稼働できないところはたまたま生き残っていた私どもの団体の回線とサーバーで代替えブログとして無償で貸し出しました。それらはほんの微力でしたが、少しは協働参加できたかもしれません。。それぞれの住民、出身者はそれらのサイトから現状が解り自分がどう動いたらよいか判断ができ、大いに重宝されたのではないかと思います。さらに合併の中心の長岡市は各合併予定の市町村のホームページへ長岡市の災害情報ページからリンクを張り合併予定先の全市町村の復興情報は全て結ばれていました。
当時はまだ協働という言葉を知りませんでしたが正に市町村間Web間の協働になっていたのではないかと思います。
当時の長岡市は被災地中越地域の中心都市としての行政の中心都市としての役割に徹していることが出来た事もあったのかもしれませんが被災現場に近い都市としての役割を果たしていたのかなと思います。7.13水害時に中之島災害ボランティアセンターの支援に覗った経験から長岡災害ボランティアセンターに行ってみました。中之島もそうでしたが長岡もボラセンの体制は整っており、次々とボランティアを受け入れていました。
様子をみていたときいろいろ面倒そうな若者グループがやってきてどうなるかとドキドキすることもありましたが「災害ボランティアしたいんですが」と実に助け合い精神に富んだ若者グループでした。私のさみしい先入観念が大事な戦力を見逃しそうでしたがボラセンの人たちはてきぱきと受け付けて対応されていました。長岡魂という復興・助け合いの精神、協働がすでに浸透していたようです。
今のまま協働もっと伸ばしてゆけば長岡の未来はますます明るいものと思います。
文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 理事 桑原 眞二
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「今日どう?通信」はNPO法人市民協働ネットワーク長岡の事務局・理事その他関係者が、市民協働をテーマに日ごろ感じたこと、気づいたことをしたためるリレーエッセイ・コラムです。
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