村の共同作業に学ぶ、誰もが「仲間」になれるような関わりシロ | 唐澤頼充 | 今日どう?通信

私の住む新潟市西蒲区福井地域は縄文時代の前、旧石器時代の遺跡があるなど遥か昔から人が住み続けてきた農村集落です。古い地域ということもあり、昔ながらの村の共同作業が今もたくさん残っています。農業用水用の泥あげ、夏場の草刈り、神社の春秋祭り、しめ縄づくり、その他にもさまざまな村の仕事があります。

こうした地域の共同作業に対して、ネガティブなイメージを持つ人の方が多いかもしれません。現代社会では、多くの人は仕事に忙しく、子どもたちも学校や習い事の予定がキッチリ。休みの日も、買い物やレジャー、自分のことに時間を使いたい!地域の共同作業なんてしている時間はない。わざわざ自分たちでやらずとも、お金を払って専門家にやってもらったほうが、労力もかからないし、作業の質もよくなるよ。なんて感じるのが一般的かもしれませんね。

確かに村仕事には封建的、保守的、閉鎖的なイメージがあります。かつて、地域社会から多くの若い人たちが離れていった背景には、こうした村の仕事のわずらわしさや、参加を求められる圧力から逃れたいという思いもあったでしょう。

しかし、時代も変化してきた中で、改めて「共同作業」の中にある可能性に光を当ててみたいと思います。

私はもともと長野県出身で、週末農業サークルへの参加がきっかけで今の地域に通い始め、子どもが生まれたのを機に移住してきた「よそ者」です。よそ者の私にとって、地域の「共同作業」は、それに参加さえすれば地域の「仲間」だと認めてもらえる大変便利なツールでした。
農村集落とは言え普通に生活しているだけでは、もともと地域に知り合いのいない私たち家族は、なかなかコミュニティの輪に入るきっかけがつかめませんでした。そんな中、とりあえず共同作業があるときに参加すれば、私の人間性も、性格も、能力も、思想も、何一つ関係なく、その場では「仲間」として扱ってもらえるのです。
これは、ちょっとした衝撃的でした。

というのも、今の社会では、誰かと新しく「仲間」、あるいは「友だち」になるということは、とても難しいと思うからです。
例えば、誰かと一緒に働きたいと思っても、働く仲間になるためには採用試験をパスする必要があります。一緒に働くに値する人間だと思ってもらえなければ仲間に入れてもらえません。お気に入りのお店などは、お金を払っている間は良くしてくれますが、あくまでも商売の中でのお付き合いです。プライベートで誰とでも仲間になれるかといえば、性格や趣味嗜好、フィーリングなどが合わなければ友だちになることは難しいでしょう。交流会に参加したり、趣味のサークルに加わったりしてみても仲間と思える関係になるのは結構難易度が高くないですか?ましてや、恋人や家族になろうと思えばさらにハードルは上がります。仲間・友だち探しは本当に難しいんです。
けれど、村では、ただ共同作業に出て一緒に汗を流すというとても簡単なことをするだけで、どんな人でも「私たち仲間だよね」と実感し合うことができるのです!なぜならば仲間意識というものは「助け合う」ことで最も生まれやすい感情だからです。また、作業を通じて共に過ごし、おしゃべりしたり、何度も顔を合わせるうちに少しずつ関係性を深めて、いつの間にか友だちになれるような人も見つかったりもます。こうした、共同作業の中にあった「仲間意識を持つ」機能は、今まで見過ごされてきたように思います。

かつての村の共同作業は、「山から田んぼに水を引くと」いうような「便益」はみんなで協力してやらなければ得られない、という切実さの中から必要とされてきました。
けれど、現代はみんなでわざわざ協力せずとも、多くの「便益」は市場や行政サービスから調達可能になりました。それも自分たちでやるよりも、安く、早く、質も高く。
けれど、共同作業から得られていたものは便益だけではなかった。共同作業の中で私たちの仲間意識や、人と人との関係性が育まれていたのです。社会から共同作業がなくなり、代わりに専門家が増えていったことと、私たちが誰かと仲間になる機会や、友だちをつくる機会がどんどんと失われ、孤独感を強めてきたことは決して無関係ではないのです。

評判の良くなかった頃の「共同作業」は、言ってしまえば欠席裁判的でした。協力して当たり前、少しでもサボったやつは許さない。仲間じゃない。といった閉鎖的な姿勢です。
けれど共同体そのものがやせ細り、機能しなくなっている中で、「共同作業」を仲間から排除するようなものではなく、外から仲間を受け入れるための場として。少しでも関わってくれたら仲間だと言い合えるような、仲間を広げる開放的な方向に捉え直すことができるのではないでしょうか。

誰しもに自分の居場所がある社会は、誰もが自分の仲間だと思える存在を持てる社会です。そんなつながり合いの社会をつくるには、便利さ快適さと引き換えに失われてきた「共同作業」を改めて取り戻すことが手っ取り早いように思います。現代に新しい共同作業≒協働の機会を取り戻す運動こそが、市民活動でありNPO活動あり、そして市民協働だと私は信じています。
そして、協働の機会は、これからの社会や、地域においてもそうですが、市民活動やNPOのそれぞれの団体活動においても協力者や仲間を増やすために必要な視点です。仲間を増やすには、まず「共同作業」をつくり、参加してもらう。ぜひ、皆さんの活動にも誰もが参加できる開かれた共同作業を新たに取り入れてみてください!

文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 理事 唐澤頼充

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「今日どう?通信」はNPO法人市民協働ネットワーク長岡の事務局・理事その他関係者が、市民協働をテーマに日ごろ感じたこと、気づいたことをしたためるリレーエッセイ・コラムです。
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