心の動きを純粋に感じるということ | 栗林渓 | 今日どう?通信

私は今年、市民協働ネットワーク長岡に入職しました。

それまでは福祉施設で相談員として勤めており、退職後しばらくは休息期間を取りました。

山に登って滝に打たれてみたり、バンジージャンプをしてみたり、とにかく気持ちの赴くままに出掛けて、その時々で出会う人ととりとめのない話を沢山しました。

なにげない話の中にその人の人生が感じられるような気がして、貴重なひと時でした。

そんな期間中、オープン記念イベントを開催していた「栃尾地域交流拠点施設トチオ―レ」にたまたま立ち寄る機会があり、施設内を順繰り巡っていると2階の踊り場、図書館前の一角でパネル展が開かれていました。

目的は図書館だったはずなのに、しばらく立ち止まりパネルに見入っていたのを覚えています。そして、すぐ近くに設置してあった市民活動情報誌「らこって」を端から端まで全てもらって帰りました。この時が市民活動との最初の接点になったと感じています。

「あの瞬間、何に惹かれて立ち寄ったのか。」はっきりとは分かりません。

でも、なんだかワクワクした感覚があったことだけは確かで、興味が湧いていました。

このことがきっかけで、私は今に至ります。

私たちは日々の忙しなさにかまけて、普段から見過ごしていることが沢山あるのではないでしょうか。

景観の変化や季節の移り変わりなどもそうですが、自分自身の心の動きには特に気付けないことが多いように思います。

明確な理由はなくとも、なにげなく、ふいに思ったことを行動に移し、手に取ってみたり、話してみたりすると想像以上に色んなことが広がっていくかもしれません。

文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 事務局 栗林 渓 

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「今日どう?通信」はNPO法人市民協働ネットワーク長岡の事務局・理事その他関係者が、市民協働をテーマに日ごろ感じたこと、気づいたことをしたためるリレーエッセイ・コラムです。
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