
人は、ときに「役に立つ言葉」よりも、「たわいない会話」に救われることがあります。私がそのことを実感したのは、この冬のことでした。
きっかけは、2025 年 9 月に奈良県信貴山の玉蔵院で修行体験をするため、般若心経を覚えようとYouTube を検索したことでした。そこで偶然見つけたのが、太鼓を叩きながら般若心経を唱える僧侶の動画でした。思わず見入ってしまうほど力強く、かっこいい!!その僧侶が須磨寺の小池陽人さんでした。
そこから小池さんの YouTube を見るようになり、特に印象に残ったのが、介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」を運営する首藤義敬さんとの対談企画「喫茶混沌」でした。
テーマは決して難しいものではありません。むしろ、ゆる~い雑談が続きます。ところが、その雑談の中に、ふと胸に刺さる言葉が紛れ込んでいるのです。
くすっと笑ってしまう瞬間もあれば、「うんうん、そうだよね~」と深くうなずく瞬間もあります。答えを押しつけるわけでもなく、誰かを正すわけでもありません。ただ言葉が行き来する。その空気の中で、いつのまにかこちらの心がほぐれていきます。
長岡で迎える 2 回目の冬、私はどこか閉塞感のようなものを感じ、気持ちが重くなる日が多くありました。そんなとき、家事をしながら、あるいはほっと一息つく時間に「喫茶混沌」を流しておくと、不思議と肩の力が抜けました。真剣な講義でも、立派な自己啓発でもありません。ただの雑談なのに、なぜか救われるのです。
考えてみれば、人は昔から縁側や井戸端で雑談をしてきました。役に立つ話ばかりではありませんが、その時間が心の余白をつくっていたのだと思います。効率や正解が求められる時代だからこそ、意味のないように見える雑談が、実は大切なのかもしれません。
雑談とは、答えを見つけるための会話ではなく、心が呼吸を取り戻すための時間なのだと思います。今日もどこかで、誰かが雑談をしています。
その何気ない会話が、知らない誰かの心を、そっと軽くしているのかもしれません。
文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 地域おこし協力隊 加峰真理
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「今日どう?通信」はNPO法人市民協働ネットワーク長岡の事務局・理事その他関係者が、市民協働をテーマに日ごろ感じたこと、気づいたことをしたためるリレーエッセイ・コラムです。
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