祭りは防災〜被災経験と祭りがつなぐ支援の輪 | 清野静香 | 今日どう?通信

ちょうどコロナ禍まっただ中の3年前、心が縮こまって表現する場所を失いそうになったとき、大人が率先してバカをやらなきゃ!という思いから、仲間たちと盆踊り部を始めました。
町内会などの単位で開催されることが多い盆踊りですが、小千谷市の友人のお店を会場に開催した盆踊りには県内各地、関東からもゲストや人がたくさん来てくれました。
そんなきっかけで始めた盆踊り・祭りづくりの活動でしたが、能登半島地震の後に、その祭りの意味をさらに知ることになりました。

年の初めに発生した能登半島地震。1月から現在まで、月に1〜2回のペースで能登にお邪魔しています。当初は1人でも行こうと思っていたのですが、盆踊り部を一緒にやっている友人に話してみると中越地震当時、被災当事者だったこともあってか「みんなで行こうよ。」と言ってくれました。

訪問している地域は七尾市中島小牧地区という七尾湾に面した地域。元々、2007年の能登半島地震からのご縁がある土地です。

ここは、お熊甲祭りという祭りがあり、毎年九月二十日に開催されることから二十日祭とも呼ばれています。盆正月よりも祭りのために帰省する人が多いとも言われていて、祭りを中心に一年がまわっている地域。
能登半島地震が起きた時、地域内を通る国道が大きく崩落し、通行不能になっていた箇所を地域に住む地元の業者がテニスコートを切り開き、横断する形で迂回路をつくり、住民自ら誘導をしました。
いち早く地域内のコミュニティセンターに自主避難所を開き、お母さん方は食材を持ち寄って、みんなの食事をつくり、配管業を営む方は破損した避難所の水道を直し、かなり早い時期からそこの避難所では水洗トイレが使えていて、驚くことばかりでした。なぜこういったことができたのか?と聞くと、「祭りをみんなでやっとるからや」とのこと。

このお話を聞いて、祭りを一緒にやってる仲間とは災害時も組める。という思いは確信に変わりました。
「祭りは防災」

祭りは、災害時と似た要素があると思います。いつもとは違う緊張感、祭りは歓喜の時間でもありますが、思いがけないハプニングも起きる。とっさの判断で協力したり動いたりしないといけない。ともに心、身体を動かしたことは、また何かあったときに協力し合うことができる。

地域を越えて開催してきた盆踊りの仲間は、現在も共に能登半島に通う仲間であり、現地に行けない人は、物資を届けてくれたり、応援を送り続けてくれています。

私にとって中越地震が初めての災害支援現場でしたが、今一緒に能登に行っているメンバーの半数以上は中越地震の被災当事者。中越地震で全国からもらった支援をまた巡らせたいという想いを持ちながら活動を行っています。
被災の苦しみを受けた人同士のあたたかな循環は中越〜能登へ。

平常時は祭りを、何かあった時には助け合えるコミュニティが広がっています。

文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 理事 清野 静香

◆―――――――――― ◆

「今日どう?通信」はNPO法人市民協働ネットワーク長岡の事務局・理事その他関係者が、市民協働をテーマに日ごろ感じたこと、気づいたことをしたためるリレーエッセイ・コラムです。
感想など、お気軽にコメントなどでお寄せ下さい。