ながおか市民協働センターがオープンして10周年の今年は、じわっと魅力的な企画が多い。
先日の理事会で受け取ったチラシは、私的にかなりヒットした。「ながおかの社会的処方箋 “地域のつながり”という薬」という講演会が9月2日(金)に開催されるというではないか!!!
私が20代の頃から、子育て支援にしても、防災関係にしても、一貫して言い続けてきたことは「つながる力」だ。中越地震の後、NPO法人多世代交流館になニーナは、年に1回でも集落の年季の入ったお姉様・お兄様たちと「食」を通してつながっている。そこで聞こえた「この子たちと、また来年元気で会えるように、もうちっと頑張らんきゃらな~。」という声。これこそ医療の力以上に、自分で生きる力を生み出していると実感した。
そして、同時に思い出したのが、「スリランカの悪魔祓い」(上田紀行:著、1990年初版、徳間書店;講談社からも文庫版が出版されている)だ。JICA海外協力隊時代(旧青年海外協力隊)隊員ドミトリーの本棚にあり、任国フィリピンと重なる文化を感じた。おそらく、世界のいたるところにこのような民間療法は存在するのだと思う。
―以下、講談社の文庫版「あとがき」より抜粋―
「他者を癒す/世界を癒す/自分を癒す」
他者とのつながりの回復の中で、人は、はじめて癒されていく。
スリランカでは、「孤独な人に悪魔は憑く」と言う。そして実際、病の人が出たら、村人総出で「悪魔祓い」の儀式を行い、治してしまう。著者は、そこに「癒し」の原点を見た。「癒されたい」人から、自ら「癒されていく」社会へ。孤独に陥りがちな現代日本人に、社会や人とのつながり、その重要性を問いかける。」
その後、スリランカに行った際、この悪魔祓いを体験したかったが簡単には遭遇できず、いまだに心残りである。しかし、フィリピンで暮らしていた頃は、日常的に民間療法を取り入れた生活を送っていた(送らされていた?)ため、イメージすることはできる。
デング熱にかかった!と言えば、葉っぱと塩と水を手にしたシャーマン(と言っても、それを生業にはしていない)と近所の人たちがぐるっと私を取り囲み、何やらぶつぶつ唱えながらシャッシャッと清められ、治るまで毎日誰かがお供え物?をもってお見舞いに来てくれた。
そう!日本語が通じる人は誰一人としていないが、「私のことを心配し、元気になることを願っている人たちがたくさんいること、真剣に祈ってくれる人が居ること」を目の当りにし、生きるエネルギーが湧いてくるようだった。
さて、今の日本はどうだろう?日本語は通じるが、誰かとつながってる安心感、実感のある人はどのくらいいるだろう?そういう私も、立場的に「孤独」を感じることが多くなってきた。
9月2日は、久しぶりに「つながり」を実感したり、新たに構築したりできる日になりそうな予感がする。
夏休みという「つながり」が薄くなる時期に、臨時子ども食堂や臨時プレーパークなどを開催し、お節介なつながりの場づくりを仕掛け続けたいと思う。
文 市民協働ネットワーク長岡 理事 佐竹直子
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「今日どう?通信」はNPO法人市民協働ネットワーク長岡の事務局・理事その他関係者が、市民協働をテーマに日ごろ感じたこと、気づいたことをしたためるリレーエッセイ・コラムです。
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