会議ってめんどくせぇ|阿部 巧 | 今日どう?通信

会議ってめんどくさい、と特にここ数年感じてしまいます。
とある毎年行っているイベントの会議を全然ひらく気を起きない現象に悩まされました。
私が事務局を担い、形式上関わる団体、人はそれなりの数がいますが、その分主体的に関わる人は少な目というなかなかやっかいな建て付けです。

毎年やっているというのがまたやっかいで、昨年通りやってしまえば大崩れすることはない。
ゼロから企画する必要もない。
主体的に関わる人は多くはないので(つまりどうなってんだ!と連絡してくる人もそういない)どうしても他の仕事を優先して、後回し後回しにしがちになってしまったわけです。
仕方なく、ギリギリになって形式上会議を開いて、前に進めたというのがことの顛末。
いわゆるやっつけ仕事と言われても否定はできません。

会議には物事を決めるという要素もそうですが、会って話をすること自体に価値はあるのだとは思います。
そのことで、会議に参加した人のイベントに対するコミットも大きく変わってきます。
そして意外なアイデアが出たり、会議を開く前とは別の世界が広がったという実体験も少なくないです。

しかし「形式的にやってしまえー」で終わらせる会議への慣れは、油断していると日々蝕まれてしまいます。
仕事を進める上では中身は置いておいても、手続き上必要なことは多々あるからです。

「お互い形骸化していることは承知の上で、誰も困らないように進めようと配慮を効かす」「事前に誰かに「意義なし」と言ってくださいと仕込んでおく」など、何の儀式ですか?と思うけど、儀式は儀式なりにやらないと前に進まないという言い訳をしながら。。
参加する方としたら、文章で承認に〇を付けて、家でYouTubeでも見ていた方がいいなと思ってしまいますよね。私ならそう思います。

さらに、この件について一番悩みぬいて考えているのは自分という驕りが、会議を開いて他者の意見を受け付けたくないという気持ちを作ることも少なくないです。
協働を語る上で、本当に終わっている姿勢ですが。その気持ちがたびたび顔を出すのも事実です。逆に、普段活動に参加しているわけではない団体の理事なんてやっていると、日々頭を悩ませてがんばっている人たちに申し訳なくて、軽々しい発言なんてすべきではないという自制が働くこともあります。

会議はやっかいでめんどくさいですが、人との対話の力を信じる続ける姿勢は崩したくない。
そして「これ、こんなんでいいの?」という20代の青臭い生意気な若造のような自分を胸の内に秘めておくことは、それはそれで大事。
さすがに態度には出しませんが、出しているときもあるかもしれませんが。

文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 副代表理事 阿部 巧

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「今日どう?通信」はNPO法人市民協働ネットワーク長岡の事務局・理事その他関係者が、市民協働をテーマに日ごろ感じたこと、気づいたことをしたためるリレーエッセイ・コラムです。

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