「ついで」に宿る「豊かさ」~目的と副産物の関係性 | 唐澤頼充 | 今日どう?通信

ウイルス禍で失われた「ついで」

2019年末から世界を震撼させた新型コロナウイルス感染症。2023年5月に感染法上の分類が、季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げられてからは、徐々に社会生活も日常に戻ってきました。今年(2024年)に入ってから、「不要不急」と言われがちだった地域行事のお祭りや飲み会、交流会などが戻ってきたと感じている方も多いのではないでしょうか?

私の地域でも、さまざまな行事が再開され、移住者である私は「ああ、そういえば田舎暮らしは実はとても忙しいのだった」と改めて実感しています。

ウイルス禍では「不要不急は避ける」という考えのもと、村の祭りは神事のみが執り行われ、直会(神事後の飲み会)や懇親会はお弁当の配布にとどまりました。教育現場でも、「授業」さえオンラインで行えば義務は果たされるという雰囲気がありました。

これらの対応は「目的を達成することができればOK」という、極端に言えば「成果主義」的な側面に偏っていたと言えるでしょう。実際、ウイルス禍における地域コミュニティの活動は楽でした。必要なことだけをこなし、煩わしい人付き合いや社交を避けることができたからです。そのおかげで家族との時間や自分の時間は増えました。

「ついで」だからこそできる相談

一方で、地域住民や他の人たちの近況を知ったり、新しいつながりを作ったり、何か助けてもらったり、逆に手伝ったりする機会も激減しました。ウイルス禍が落ち着いた今、地域の行事の「ついで」にしていた人との会話や時間、空間の共有がいかに重要だったかを実感しています。それは目的達成の過程での「副産物」に過ぎませんが、その副産物こそが人間関係を育み、誰かの問題や悩みを解決する素地となっていたのです。

例として、私の住む地域で毎年6月に行われる「ほたる祭り」のエピソードがあります。地域住民が主催する祭りですが、一部の外部の人にも手伝ってもらっています。今年の祭りで手伝ってくれた若者の中に、賃貸で貸してくれる空き家を探している人がいました。以前から相談を受けていたものの、なかなか情報が見つかりませんでした。そこで、祭りの準備中に「この人が家を探していて、何か情報があれば教えてください」と軽いノリで自治会の役員さんに声をかけたところ、4軒ほどの空き家が見つかりました。

これが祭り準備の「ついで」でなかったら、どうでしょうか?自治会長の家を一緒に訪ね、人物紹介をして、空き家を斡旋してもらえないかと頭を下げる…。このように形式ばった方法では、相談する若者にとっても、紹介する私にとっても、相談に乗る自治会長にとっても重すぎる話になってしまうでしょう。「ついで」だからこそ気軽に、軽く、なんとなく相談ができるし、相談された方も軽く対応できるのです。このエピソードは、「ついで」に生まれる豊かさを考えさせられました。

副産物を目的にできるのか?

副産物に価値があるなら、それを目的とした事業をすれば良いのではないかと考える人もいます。例えば、先の祭りの例では「空き家と住みたい人のマッチング」が副産物です。これを空き家バンク事業として制度化すれば助かる人が多いかもしれません。しかし、目的化(制度化)することで失われるものもあります。

空き家バンクが制度化されれば、「この地域に空き家があるかどうか」は空き家バンクに登録されている物件の有無で判断されます。なければ諦める。借り手も地域側も「あるかもしれないから住人に声をかけてみよう」という意思が減ってしまいます。つまり、制度からこぼれ落ちるものが少なくないのです。

他にも、居場所づくりの分野でも問題があります。社会の中で居場所を持てず苦しんでいる人が増えています。行政や福祉サービスとしてさまざまな居場所が提供されていますが、「制度化された居場所」は批判されることがあります。誰かが居場所と感じる場所やコミュニティは、副産物として結果的に居場所と感じるものであり、誰かから与えられた居場所を自分の居場所だとは思えないのです。

まちづくりの核心は「ついで」づくり?

神事と直会(飲み会)をセットで行うことで、皆が「ついで」に悩みやアイデアを気軽に相談しやすくなる。イベントを外部の人も呼んで行うことで、「ついで」に人間関係が広がる。学校に集まって授業を受け、休み時間や移動時間があることで、「ついで」に友達ができたり、先生への質問や相談がしやすくなる。

副産物は副産物だからこそ価値があります。しかし、生産性が重視されるビジネスや仕事の分野では、この「ついで」は敬遠されがちです。生産性は「生産性=成果÷労力」で表されるため、少ない労力で大きな成果を生むことが求められるからです。そのため、成果主義が根強い現代社会では「ついで」を生むような労力は削減されがちです。金銭的な価値を生む必要がある仕事では仕方のないことでもあります。 そうであれば、暮らしや生活に密着した「まちづくり」においては、仕事と逆の発想が大切かもしれません。つまり、まちづくり活動ではどうすれば副産物を多く生み出すことができるのかを第一に考える。「目的」を達成するために、「最短の手段」ではなく、最も「ついで」が生まれそうな手段を選ぶことが重要です。これがまちづくり活動の核心ではないでしょうか。賢い「ついで」の作り方について、ぜひ皆さんからもアイデアを聞きたいと思っています。

文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 理事 唐澤 頼充

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