いい感じに“迷惑”をかけて、生きる | 須貝友紀 | 今日どう?通信

最近の楽しみの一つは、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。
『東京ブギウギ』で有名な歌手・笠置シヅ子さんをモデルにした主人公・福来スズ子を、趣里さんが演じている。

先日の放送で、こんなシーンがあった。
『東京ブギウギ』がヒットした後、ひょんなことからスズ子は幼馴染のタイ子に再会する。
タイ子は、戦争で母親と夫を失い、自身は病気で動けず、まだ幼い息子が靴磨きで稼いだお金で、何とか暮らしていた。

「タイ子ちゃんやんかぁ?」

うれしそうに駆け寄るスズ子に、タイ子は言った。

「施しを受ける義理は、ありません」

「人から助けてもらうこと」を「施し」と呼んでいることが衝撃的だった。
自分を相手より見下して、まるで自分を「惨めなもの」として扱う言葉。
相手の表面だけを見て、万事うまくいっている(ように見える)相手と自分の間に、ぶっとい境界線を引き、拒絶する言葉。
そして、そんな言葉を使わせてしまう戦争の恐ろしさ。

『東京ブギウギ』の発売から76年経った今、私たちは、「人から助けてもらう」ことを「迷惑をかける」と呼ぶ。
『グーグル日本語辞書』曰く、迷惑とは「他人のことで、煩わしくいやな目にあうこと」。
そうか。私たちは、嫌々助け合っているのか。

これは、「自分のために、相手の資源(時間やお金、体力など)を使わせてしまった」、要するに「相手に損をさせてしまった」という罪悪感が理由ではないかと思う。

私の言った「ありがとう」に「どういたしまして」と笑顔で答えたその人は、本当に損をしているのだろうか。
時間やお金など目に見えるものだけ見て、わかった気になって勘定をして、勝手に「得した」「損した」などと決めつけていないだろうか。

誰かからの助けを「優しさ」と呼ぶのか、「自分が相手にかけた迷惑」と呼ぶのか、私たちは選べる。
どんな社会で生きていきたいのかを考えれば、どんな言葉を使うのかは自ずと見えてくるものだと思う。

文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 事務局 須貝 友紀

◆―――――――――― ◆

「今日どう?通信」はNPO法人市民協働ネットワーク長岡の事務局・理事その他関係者が、市民協働をテーマに日ごろ感じたこと、気づいたことをしたためるリレーエッセイ・コラムです。
感想など、お気軽にコメントなどでお寄せ下さい。

コメント