ほんとうの目的は事業?それとも、飲み会? | 唐澤頼充 | 今日どう?通信

私の住む新潟市西蒲区福井集落で、4月に春祭りが行われました。

ウイルス禍の間も神事は行われ、しめ縄づくりや、灯籠やのぼり旗を上げたりと、祭りのための共同作業は続いてきました。今年は3年ぶりに、祭り前日の宵宮(よいみや)に地域の有志団体による屋台が出店し、神事の後には直会(なおらい)も行われました。

「宵宮祭があり、そして直会でもこうしてみんなでお酒を酌み交わせる。ようやくこの地域らしさが戻ってきた」と、地域の重役たちから挨拶があるなど、久しぶりの交流を喜ぶ声や、嬉しそうな顔に溢れた週末でした。

私も、宵宮では屋台を出す祭り愛好会のメンバーとして汗をかき、打ち上げをし、神事と直会にも地域団体の代表代理として出席しましたが、改めて「飲み会」の存在の大きさを実感しました。

ウイルス禍の中でも、神事や神社の整備といった「目的」は達成されていました。祭り以外にも、村の草刈りや、用水路掃除といった共同作業も行われていたし、地域の方針を決める会議も滞りなく行われていました。

ただし、懇親会や交流会は感染症対策のために中止や、お弁当を配るだけでした。それも当時は「目的は達成されているのだからOK」、また「煩わしい付き合いの機会が減ってラッキー」なんて思う時もありました。

そんな3年を過ごした後に、久しぶりに飲み会文化が戻って来て、改めてこんなにも豊穣な時間だったのかと痛感した訳です。

飲み会でされるのは基本的に雑談です。

話す内容には目的もなく、たまたま近くに居合わせた誰かと、そのときの流れの中で意気投合した話題を。あるいは、間をつなぐためだけになんとか会話をし続けることも。その大半が共同作業を行う「目的」を達成するためには役立たない会話です。

けれど、目的の外にある「余白の時間」を共有しているうちに、誰かの好きなものや、得意なこと、困っていることや、やりたいこと、考えていることなどが何となくわかってきます。それが、普段の付き合いや、次の事業や、次の会議に活きてくるのです。

そして何よりも地域で「この人たちと何かを一緒にしたい」「一緒に何かができるかもしれない」というワクワク感が生まれて来ます。

あぁ、人と人が理解を深め合う豊かな時間は飲み会にこそあったんだなぁ。そして、ウイルス禍の中でとても大切な時間が失われていたんだなぁ。と感慨深くなりました。

思えば私たちの社会は、いつの間にか「〇〇のため」という目的第一主義となり、「目的達成のために、それに合った人材を集め、適材適所に配置する」という考え方が当たり前になっています。ビジネスの世界ではもちろん、今では地域活動や社会活動の分野でも「社会的インパクト」のような成果を真ん中に置いた思考方法がどんどん入ってきています。

けれど、私たちは課題解決のために活動していたのでしょうか?
自分が居心地の良いコミュニティをつくる事。
楽しく話したり、何か合ったときに頼れる人をつくる事。
そんな信頼できる人たちとつながり、何か一緒にしようよ!とワクワクしながら行動する。
みんながそうした関係性の輪を持てる地域にすること。
それが本当の目的だったのかもしれません。

共同体の基盤と言われる「家族」には共通の事業目標はありません。
共に楽しく暮らすこと。それだけです。
けれど、一緒に何かしたほうがより楽しく過ごせますし、張り合いが出ます。
だから、市民活動にとっても目的や事業は大事。
でもそれは、そこに集う仲間たちの相互理解を深めるための「飲み会の“肴”」くらいのものかもしれない。そんなことを考えた、春祭りでの出来事でした。

文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 理事 唐澤頼充 

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