記録的な猛暑だった夏も終わり、あっという間に冬がやってきたような気温ですね。何年か後には某アニメ映画のように「かつて日本には秋という季節があった…」なんて語られるのではと想像してしまいます。
さて、私事ではありますが昨冬から自宅に薪ストーブを導入しまして、今年はせっせと冬のために薪づくりをしていました。春先から、倒木等をもらい、運んで、チェーンソーで玉切りにし、オノでひたすら割る。初めての薪準備にかかる手間と、時間に驚いていました。
薪割りをしていて、しみじみと思ったのが「昔の人たちは、自分(たち)のために、自分(たち)の時間をたくさん使っていたんだなぁ」ということです。
薪ストーブを入れる前は、エアコンやファンヒーターを使っていました。それらのエネルギーである電気や灯油は、誰かが用意してくれたものを買っていました。薪づくりは、自分の使うエネルギーを自分で用意している行為です。私の場合は冬の暖をとるための薪ですが、一昔前は料理や風呂などにも欠かせないエネルギー源でした。それを、日々用意するためにはたくさんの時間と人手と、労力が必要だったことでしょう。その時間は全て「自分(たち)のため」に使った時間です。
現代の私たちは、日々の時間多くを「労働」と「消費」に使っています。
労働は、「自分の時間を、他人のために使うこと」。そして労働を通じて、やりがいや、自己実現、収入などを得ています。
消費は、「自分のために、他人の時間を買うこと」。そして消費を通じて、生活必需品を得たり、娯楽に興じたりしています。
このどちらもが、お金(等価交換)を介したやり取りです。
お金のやり取りは便利で快適、そして楽で、わかりやすいです。けれど、そればかりが増えすぎると「お金がなければ何もできない…」という不安が広がっていきます。今の社会に広がる不安の種は「お金がなければ生きていけない…」という思いと、「だからいい仕事につかなければ…」「稼がなければ…」「でも不景気で仕事がない…」という焦りなのではないかと感じます。
けれど、今よりもずっと経済的には貧しかった時代は、食べ物も、冠婚葬祭も、インフラ整備も自給自足。つまり今よりも圧倒的に「自分(たち)のために、自分(たち)の時間を使う」ことが多かったのです。そして、そこに使った時間の分だけ、「困ったら自分たちでつくればいい」「どんなときでも助け合って生きていける」というような、前向きな安心感が得られていたのではないでしょうか。
市民活動や協働というのは、まさに今の時代「自分(たち)のために、自分(たち)の時間を使う」ことです。
昔は生きていくために必要に迫られて自給自足のための共同体をつくっていました。けれど、現代は生活を賭けなければいけない状況ではありません。私たちに必要なのは生活必需品の自給ではなく、自分たちの「楽しさ」や「やりがい」「生きがい」を自給することだと思います。そんな「自給的な時間の使い方≒市民活動や協働」を多くの人がすれば、現代社会をなんとなく取り巻いている将来への不安も、少しは軽減されると考えています。
文・NPO法人市民協働ネットワーク長岡 理事 唐澤 頼充
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「今日どう?通信」はNPO法人市民協働ネットワーク長岡の事務局・理事その他関係者が、市民協働をテーマに日ごろ感じたこと、気づいたことをしたためるリレーエッセイ・コラムです。
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