今日どう?通信 vol.102

日本の農地や食糧生産を誰が担うのか?

農業問題は突き詰めれば最後にはこの問題にぶち当たります。「農業生産者」だけではなく、「これまで消費者だった人たち」との協働にその可能性はあるのでは?ということが最近の論調です。

そんな中、最近またよく耳にするのが「半農半X」という生き方です。これは「自分や家族が食べる分の食料は小さな自給農でまかない、残りの時間は「X」、つまり自分のやりたいこと(ミッション)に費やすという生き方」として塩見直紀さんという方が提唱したコンセプトです。これまで消費者だった人たちが「小さな農業」を自分の暮らしの中で実践するということに、日本の新しい農業の形としての光があたっているのです。
そんな流れもあってか「半農半Xこれまでこれから(創森社)」という著書の一部を執筆させていただく機会がありました。そこで私の身近にいる半農半Xな暮らしをしている人たちを何人か紹介させてもらいました。例えば、次のような仕事の組み合わせで暮らしを立てている人たちです。
「コーヒー屋×カメラ×稲作」「稲作×自給生活×冬仕事」「菓子工房×事務請負×畑×稲作×農家レストラン」
そんな彼らの話を書いていると、「半農半X」な人たちは農業の担い手であることには間違いないのですが、これまでの「大規模農地で安定経営」という担い手像とは合わないということがよくわかります。

彼らの農業は、大きな規模で大量生産すること、顔の見えないほどの社会のためにしなければいけないことではありません。農業でお金を稼ぐことも追求していません。「農村で暮らすために」「自分の食料自給率を上げたい」「共感してもらえるものづくりがしたい」などということが彼らの価値観にはあります。

「日本の農地や食糧生産を誰が担うのか?」という問いは、その出発点を見直す必要があります。「半農半X」を農業の担い手として見るのであれば、大規模生産を担う農家と、半農半Xな人々の根底にある価値観の違いの理解がなければ、おかしな方向に進んでいく可能性も大いにあるのではないでしょうか。

文・阿部 巧(NPO法人市民協働ネットワーク長岡 理事)


「今日どう?通信」はNPO法人市民協働ネットワーク長岡の事務局・理事その他関係者が、市民協働をテーマに日ごろ感じたこと、気づいたことをしたためるリレーエッセイ・コラムです。
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今日どう?通信 vol.101

50年前の市民協働?

今から50年前の昭和46年、3年間勤めた貿易会社を退職して長岡に戻ってきました。当時社長からは「来年ニューヨーク駐在として派遣するから頑張ってくれ」と言われていたのですが両親・兄弟から説得され駐在員を後輩に譲り地元に戻りました。運命自招ですね。
(運命は自らまねき、境遇は自ら造る)

戻ってきた頃、実家に用件があり近くを歩いていたら目の前でばったり知り合いに出会いました。現在、新潟県テニス協会の役員をしているIさんと奥様になった近所の女性でした。Iさんとは高校の同期と言うことも有り知っていたし、その女性は同じ町内で毎朝登校するときに実家の前を通っていたので顔見知りでした。「どうして二人一緒にいるの?」って聞いたらテニスが縁で結婚することになったと話していたのが記憶に残っています。

彼から「高木も硬式テニスをやらないか?毎朝長岡高校のテニスコートで社会人のクラブが練習しているので一度見に来いよ」と誘われました。自分は中学・高校とバレーボールをやっていたのでテニスには余り興味がなかったのですが、折角誘われたので一度行ってみようと思い、確か一週間後くらいにコートへ行ったと思います。

あのラケットの芯に当たったときの感触がとても気持ちよく、それから夢中になり早朝練習に通いました。当時聞いた話でダウンヒルスキークラブという社会人のスキー同好会があり夏場の練習にテニスが良いと言うことで始めたようです。当時は長岡高校のテニスコートの排水が良くなく、側溝に硬式テニスのボールが落ちて水につかるとまるで「まりも」みたいになるねということで「マリモテニスクラブ」という名前を付けたのだと聞きました。それから毎朝の練習に通うのが楽しくて夢中になって朝の練習に行きました。

スキークラブの幹事をしていたHさんから「自分がスキークラブの面倒を見るので高木さんはテニスクラブの面倒を見てくれないか」と言われ引き受けることにしました。

当時事務局としていたスポーツ店の社長は、大勢の仲間を集めて遊ぶのが大好きで沢山集めてテニスをやろうと夏場の合宿を計画しました。毎年夏の合宿が楽しみで多くの人たちに楽しんでもらいました。

一番参加者が多かったときはバスを2台連ねて妙高のホテルに行ったことです。
私が乗ったバスでは大変盛り上がりバスガイドさんが「こんなに楽しい団体さんは今まで初めてです、来年私も参加させてください」と言ったことを思い出します。70名を超える参加者でした。

テニスクラブの中でもカップルが次々と誕生し一時は婚活の場になっていました。(笑)
今まで7組くらいのカップルが誕生したでしょうか。

その後、市内高校のテニスコートが学校開放と言うことで増えていきました。
人数が増えてくると大会開催場所が難しくなり長岡市役所にテニスコートの建設を陳情に行きました。何年か掛かって河川敷にテニスコートが出来ましたが、大水で冠水すると使い物にならずなんとか地上にコートを造って欲しいと当時の会長と何度も市役所にお願いに行きました。その結果、出来たのが希望ヶ丘テニス場です。長岡のテニスファンにとって待ち望んでいた全天候型のコート16面でした。

コート面数が多いので大会運営を任された私は試合のやりくりにトランシーバーなどを使い進行に大変苦労しました。
少しだけでも力になれたことは嬉しい限りです。

私にとって、テニスを通しての仲間作りや仕事の関係は今でも続いております。
現在クラブの会長を仰せつかっており、若い頃にこのクラブと出会って続けてこられたことは人生の大きな部分を占めております。50年も続いている現在でも40余名の社会人が集まり活動しております。これも市民協働の一つではないかと思い返しています。

文・高木 仁(NPO法人市民協働ネットワーク長岡 理事)


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きょうからキョウドウ通信vol.100

[きょうどう?通信]

大河ドラマと地元

大河ドラマファンは多いですね、私も毎年大河ドラマを観ています。

ドラマの中で戦や事件、様々な出来事が起こるわけですが、そのころの越後・長岡はどのようなことがあり、どんな人が活躍されていたのか興味があり、ネットで調べては自分の先祖の暮らしや社会に思いを馳せては楽しんでいます。大河ドラマで取り上げられるのは戦国時代と幕末・明治維新の時代が多いのですが日本の変革期で多くの英雄が現れた時代ですのでどうしてもそうなりますよね。

ただ幸運なことに越後・長岡には戦国と幕末の時代とも大きく歴史に影響を与えた英雄がおり(上杉謙信・景勝、直江兼続、河井継之助等)、毎年の大河ドラマの中に必ずといってよいほど登場して私たちの郷土愛を刺激してくれます。

今年の大河ドラマは御存知のように「青天を衝け」、渋沢栄一の物語です。第28回より、地元越後人として長岡ではなく上越の人ですが前島密が郵便制度の父として登場しました。

でもやはり気になるのは、そのころの長岡はどういうできごとがあり、どのような時代で誰が活躍していたのか。

幕末はやはり長岡では河井継之助になりますがその頃は何をされていたのか?

興味がありますよね。

調べるのは以前ですと難しいと思われますが、今ではネットで調べる・検索してみるだけで様々な情報が手に入ります。

まずは年表を検索してみましょう。「河井継之助 年表」で検索してみます。

以下検索結果

◎年表(河井継之助記念館、長岡市にある記念館のサイトに年表があります。)
https://tsuginosuke.net/?page_id=41

◎河井継之助略年表 (山田方谷マニアックス山田方谷:山田方谷は幕末期の儒家・陽明学者。継之助の藩政改革の師。そのwebサイトでも継之助の年表が作成されていました。ありがたいですね。)
https://yamadahoukoku.com/%e6%b2%b3%e4%ba%95%e7%b6%99%e4%b9%8b%e5%8a%a9%e7%95%a5%e5%b9%b4%e8%a1%a8/

では渋沢栄一の年表はいかがでしょう。

渋沢栄一年譜(渋沢栄一財団)
https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/chrono.html

あの静岡藩に「商法会所(1869年)」設立の頃、長岡・継之助はどうしていたのでしょう。

1868年に始まった戊辰戦争は長岡藩も巻き込まれ、その年のうちに長岡は奥羽越列藩同盟に参加し長岡城落城、継之助も亡くなります。

しかし、上記の年表の中に戦争前に継之助による藩政改革が記述されています。どうぞお読みください。

継之助は渋沢栄一の改革に匹敵するような藩政改革を行っていたようです。

小千谷会談が決裂せず戦にならず街が焼けずに長岡の改革がもっと進んでいたら…とか、継之助が新政府に参加していたら日本の維新はどのように進んでいたのか…とか、いろいろ妄想してしまいますね。でも、そうなると米百俵も無かった訳で…。

でも、それら「もし」を実現できるのは現代の日本・長岡に暮らす私達長岡市民な訳で、歴史に参加可能な面白い地でもあることが解ります。

上記各年表は歴史家やマニア、一般社会人等が作られたものであり、それらが現代の私たちに語りかけてくれるわけですが、これは私達一般市民でも作成可能なものであります。SNSで広く募集してその情報を編集なんてことも可能な時代です。

web上の情報が豊かな長岡市、長岡市行政関連、市民協働関連、観光関連情報、各地域関連、民間企業・商店・製造業・農林水産業、多くの長岡市内の組織団体がホームページを持ち、また、ブログやSNSでコミュニケーションもとられています。多くの市民が既にweb上の情報受発信に参加されていますが、あなたも情報を整理してまとめて発信しませんか?

何かを調べたいときのサポートができるサイト。あらゆる分野で整理されていない事が残っています。

いつか河井継之助の大河ドラマが始まったときに全国のファンに係りのある土地や食べ物の情報とか、文化・芸能等の情報を提供できるホームページ・ブログ等があったなら長岡の魅力を市内・市外・全国に伝えることが出来ます。あまり知られていないけど自分は知っている情報、とにかく知ってもらいたいこと等、ぜひ発信してみましょう。

河井継之助の映画が来年公開されますが楽しみです、さらに大河ドラマ化で継之助プラス米百俵の小林虎三郎等も取り上げていただきたいですね。めざせ幕末・維新の長岡藩の大河ドラマ化です。情報化であなたも様々に参加可能です。

文 市民協働ネットワーク長岡 理事 桑原眞二

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